配偶者居住権の評価額、簡便法と鑑定評価でこんなに違う――不動産鑑定士が解説する実務5論点

はじめに
「夫が亡くなったけれど、自宅は子どもとの共有になり、いつまで住み続けられるか不安」「妻に自宅を残してあげたいけれど、預貯金が少なくて生活費が心配」――そんな声に応えるために、2020年4月1日に施行された新しい権利が「配偶者居住権」です。
配偶者居住権の創設により、残された配偶者は自宅を相続しなくても、終身または一定期間にわたって自宅に住み続ける権利を確保できるようになりました。一方で、この権利は「不動産の所有権を分割する」という性質を持つため、相続税申告・遺産分割協議・将来の売却において、評価実務に新たな複雑さをもたらしています。
配偶者居住権の評価は、2020年以降に新たに生まれた領域として、不動産鑑定の実務でも注目される論点となっています。特に高齢の配偶者を抱える相続案件では、その評価額が遺産分割や遺留分計算に大きな影響を与えるため、慎重な検討が必要です。
この記事では、配偶者居住権の基本から評価方法、実務上の論点まで、相続実務に携わる方々に必要な知識を体系的に解説します。
第1章:配偶者居住権の基本と評価の必要性
1-1. 配偶者居住権とは何か
配偶者居住権とは、被相続人(亡くなった方)の配偶者が、相続開始時に被相続人所有の建物に居住していた場合に、その建物を終身または一定期間にわたって無償で使用・収益できる権利です(民法第1028条)。
ここで重要なのは、配偶者居住権はあくまで「居住する権利」であり、建物・土地の「所有権」ではないという点です。所有権は子など他の相続人が承継し、配偶者は所有権より価値を抑えた居住権だけを取得します。これにより、配偶者は自宅に住み続けながら、預貯金など他の財産も相続することができ、老後の生活資金を確保しやすくなります。
設定方法は、遺産分割協議・遺言書・家庭裁判所の審判のいずれかです。設定後は配偶者居住権の登記をすることで、第三者に対抗できる権利となります(民法第1031条)。
1-2. なぜ創設されたか(高齢配偶者の住居確保)
配偶者居住権が創設された背景には、高齢の配偶者を保護する政策的要請があります。
従来の制度では、配偶者が自宅を相続しようとすると、自宅の評価額が高額な場合、遺留分や法定相続分の関係で他の財産(預貯金など)をほとんど相続できないケースが頻発していました。たとえば自宅評価3,000万円・預貯金2,000万円の場合、配偶者と子1人で法定相続分通りに分けると、自宅を取得した配偶者は預貯金を1円も受け取れず、生活費に窮することになります。
配偶者居住権を活用すれば、自宅を「居住権1,200万円(配偶者)+負担付所有権1,800万円(子)」のように分割できます。これにより配偶者は自宅に住みつつ、預貯金からも一定額を受け取れるようになり、生活基盤の確保が可能となります。
1-3. 配偶者居住権・配偶者短期居住権の違い
配偶者居住権と類似する制度として、「配偶者短期居住権」(民法第1037条)があります。両者の違いは以下のとおりです。
| 項目 | 配偶者居住権 | 配偶者短期居住権 |
|---|---|---|
| 存続期間 | 原則終身(または定めた期間) | 遺産分割確定または相続開始から6ヶ月のいずれか遅い日 |
| 設定方法 | 遺産分割・遺言・審判 | 法律上当然発生 |
| 登記の可否 | 可能(対抗要件) | 不可 |
| 財産的価値 | 評価対象(相続税課税あり) | 評価対象外(短期間のため) |
財産的価値があり、相続税の課税対象となるのは「配偶者居住権」です。本記事では以下、配偶者居住権を中心に解説します。
第2章:配偶者居住権の評価方法と論点
2-1. 国税庁の評価方法(簡便法)
相続税申告における配偶者居住権の評価は、国税庁が定めた簡便法によります(相続税法第23条の2)。
配偶者居住権の評価額
配偶者居住権 = 建物の時価 − 建物の時価 ×(残存耐用年数 − 存続年数)÷ 残存耐用年数 × 複利現価率
居住建物の所有権(負担付所有権)
居住建物の所有権 = 建物の時価 − 配偶者居住権の評価額
配偶者居住権に基づく敷地利用権
敷地利用権 = 土地の時価 − 土地の時価 × 複利現価率
居住建物の敷地(負担付土地所有権)
負担付土地所有権 = 土地の時価 − 敷地利用権の評価額
ここで「複利現価率」は、配偶者の平均余命(または存続年数)に基づき、年3%の複利で計算します(2026年5月時点の前提。法定利率変動により改定の可能性あり)。
2-2. 計算例(築20年・住宅地・配偶者75歳のケース)
具体例で計算してみます。
前提条件
- 建物:築20年・木造(法定耐用年数22年・残存耐用年数2年)・時価500万円
- 土地:時価3,000万円
- 配偶者:75歳(女性の平均余命約16年・存続年数を平均余命と仮定)
- 法定利率:3%・複利現価率(16年):約0.6232
配偶者居住権の評価額
残存耐用年数2年に対し存続年数16年なので、(2 − 16)はマイナス値となり、評価上は0として扱います。
配偶者居住権 = 500万円 − 0 = 500万円(建物の時価全額)
つまり、築古建物では配偶者居住権が建物時価そのものに等しくなり、所有者(子など)は建物について価値ゼロを承継することになります。
敷地利用権の評価額
敷地利用権 = 3,000万円 − 3,000万円 × 0.6232 = 約1,130万円
負担付土地所有権の評価額
3,000万円 − 1,130万円 = 約1,870万円
結果まとめ
| 権利 | 配偶者 | 子 |
|---|---|---|
| 建物 | 500万円(居住権) | 0円(負担付所有権) |
| 土地 | 1,130万円(敷地利用権) | 1,870万円(負担付土地所有権) |
| 合計 | 1,630万円 | 1,870万円 |
このように、配偶者居住権を設定することで、配偶者の取得財産を抑えつつ自宅居住を確保し、子も相応の財産を取得できる構造となります。
2-3. 鑑定評価による方法(収益還元・利用権価額の控除)
国税庁の簡便法は相続税申告の便宜上の基準であり、市場価格を反映するものではありません。市場で配偶者居住権付き不動産を売却する場合や、遺産分割協議で公平性を厳密に評価する場合、鑑定評価による検討が必要です。
鑑定評価では、不動産鑑定評価基準(国土交通省告示)に基づき、以下のような手法を用います。
- 賃料相当額からの収益還元:配偶者が無償で居住することによる賃料相当額(市場家賃ベース)を、存続年数にわたって割り引いて算定
- 利用権価額の控除法:建物・土地の更地価格から、配偶者居住権により制約された負担付所有権の現在価値を控除して、配偶者居住権の経済価値を求める
簡便法と鑑定評価の結果は、ケースによっては数百万円規模の差が生じることがあり、特に高額不動産の遺産分割では鑑定評価による精緻な算定が望まれます。
第3章:実務で起こる5つの論点と対処法
3-1. 評価額が大きい場合の遺留分侵害問題
配偶者居住権を遺言で設定した場合、その評価額が他の相続人の遺留分を侵害するリスクがあります。
たとえば自宅評価5,000万円・預貯金1,000万円の総資産6,000万円で、配偶者と子1人の場合、子の遺留分は1,500万円(法定相続分1/2 × 遺留分割合1/2)です。配偶者居住権を3,500万円と評価して配偶者に与え、残りの預貯金1,000万円も配偶者に渡すと、子は負担付所有権1,500万円のみとなり、これは流動性が低く、現金化が困難な財産です。
この場合、子から遺留分侵害額請求がなされる可能性があり、実際の現金支払いが必要となります。
対処法:遺言作成時に配偶者居住権の評価額を試算し、他の相続人の遺留分が確保されるよう財産配分を調整する。
3-2. 譲渡できない配偶者居住権の財産価値
配偶者居住権は、配偶者の身分に基づく一身専属権であり、第三者への譲渡はできません(民法第1032条第2項)。配偶者が施設に入所したり、転居したりして自宅を使わなくなっても、その権利を売却して現金化することはできない仕組みです。
このため、配偶者居住権は「市場で流通する権利」ではなく、「実際の居住という用途に限定された権利」です。鑑定評価では、この譲渡制限を反映して評価額を一定程度減額することもあります。
対処法:配偶者の健康状態や将来の生活設計を考慮し、設定期間を「終身」ではなく「一定期間(例:10年間)」とする選択肢も検討する。
3-3. 配偶者居住権設定後のリフォーム・建替え
配偶者居住権者は、建物の使用にあたって善管注意義務を負い、増改築や賃貸を行うには所有者の承諾が必要です(民法第1032条第3項)。
実務では、以下のようなトラブルが起こります。
- 配偶者がバリアフリーリフォームをしたいが、所有者である子が承諾しない
- 建物が老朽化したが、所有者は建替え費用を出したくないし、配偶者居住権が消滅しないため建替えもできない
- 配偶者が施設に入所し、自宅を賃貸して家賃収入を得たいが、所有者が承諾しない
対処法:遺産分割協議の段階で、リフォーム・修繕費用の負担割合や、所有者の承諾の判断基準について、書面で取り決めておく。
3-4. 配偶者居住権が消滅したときの所有者の課税関係
配偶者居住権は、配偶者の死亡または存続期間満了で消滅します。消滅すると、所有者(子)は完全な所有権を回復しますが、ここで思わぬ課税が発生することがあります。
国税庁の取扱いでは、配偶者居住権の消滅により所有者が取得する経済的利益(配偶者居住権の評価額相当分)について、原則として贈与税・所得税は課されないとされています(民法上当然に消滅するため、対価のない権利取得とは見なされない)。ただし、合意解除や対価の支払いを伴う場合は、贈与税や所得税の課税対象となる可能性があるため、税務上の処理は税理士にご確認ください。
3-5. 鑑定評価が必要となるケース
以下のようなケースでは、相続税申告の簡便法による評価では不十分であり、鑑定評価による精緻な算定が望まれます。
- 高額不動産(評価1億円超)で簡便法と市場価値の乖離が問題となるケース
- 賃貸併用住宅・店舗併用住宅で、居住部分と非居住部分の按分が必要なケース
- 配偶者居住権を遺産分割協議で設定し、他の相続人との公平性を厳密に検証する必要があるケース
- 遺留分侵害額請求の訴訟・調停で、配偶者居住権の評価額が争点となるケース
- 配偶者居住権の合意解除で対価の支払いが行われ、その対価の妥当性を検証するケース
まとめ
配偶者居住権は、残された配偶者の住居を確保しつつ、生活資金にも余裕を持たせる優れた制度です。一方で、その評価方法は複雑であり、簡便法と市場価値の差異、譲渡制限、相続税・遺留分・将来の処分など、実務上の論点が多岐にわたります。
要点を振り返ります。
- 配偶者居住権は2020年施行の新制度で、配偶者の住居確保と生活資金の確保を両立する目的で創設された
- 相続税申告では国税庁の簡便法(民法第1028条以降・相続税法第23条の2)で評価するが、市場価値とは乖離があり、高額案件では鑑定評価が望まれる
- 譲渡制限・リフォーム制約・遺留分侵害・消滅時の課税など、実務上の論点が5つあり、設定段階での慎重な検討が必要
- 鑑定評価が必要なケースは高額不動産・併用住宅・遺産分割協議の公平性検証・訴訟など多岐にわたる
配偶者居住権の設定は、一度行うと長期にわたって権利関係を固定する重大な選択です。遺言作成・遺産分割協議の段階で、専門家を交えた慎重な検討をお勧めします。
なお、相続税の納税額や課税関係に関する具体的な助言は、税理士にご確認ください。
ご家族間で配偶者居住権の設定をお考えの方、評価額の妥当性検証をご希望の方は、ぜひ私たち不動産鑑定士にご相談ください。ご家族間の不動産取引でお悩みの方、まずは初回の無料相談から承っております。



